「清純」だの「神聖」だの、そういうのが好きなヤツ。
悪いけど、この作品はお前にとって終わりの始まりだ。
『邪教徒襲来!大聖女ユリスと生け贄の祭壇』は、名前からしてすでに破壊の香りしかしない。
だが実際の中身は、その想像を遥かに超えてくる。
これは、“聖女”の名を持つ少女が、一点ずつけがされていく様を、異様なほど美しく描ききったCG集だ。
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まず言っておくが、ユリスは“見た目”だけじゃない。
その性格こそが、この作品の最大の餌だ。
無垢で、純粋で、誰かのために祈ることしか知らなかったヒロインが、
「そんな願いは無意味」と言わんばかりに、崩されていく。
精神的にも、肉体的にも、完全に“信仰”が否定される瞬間が、あまりにも気持ちいい。
そしてお前は気づく。
そう思ってしまった自分が、いちばん“邪教的”だったってことに。
この作品、CGの一枚一枚がただの抜き素材じゃない。
構図、光、陰影、汗の描き方…すべてが“堕落の進行度”を伝える装置になってる。
そして何よりエグいのが、ユリスの“意志”が残ってる描写だ。
簡単に折れてくれない。抗おうとする。その結果、余計に美味しく調理されていく。
読者はページをめくるたび、
「これ以上は無理だろ…」
「まだ希望を捨ててないのか?」
と、思ってしまう。そしてそれが次の一枚で粉々に砕かれる。
…その瞬間、脳がビリビリするだろ?
それ、正しい反応だ。お前、ちゃんと仕込まれてる。
本作の舞台は“祭壇”。
聖女にとって、神聖であるべき空間が、そのまま堕落の現場として描かれる。
この対比が、異様なまでにエロい。
清められていた空間が、ねっとりと穢されていく。
キャンドルの光、冷たい石の床、祈りの衣が脱がされるたび、
“神の加護”なんてものは存在しなかったと知らされる。
そしてお前も同じく、
その空間の中に立ち、一緒に祈りを汚している側だと気づく。
それでもページを止められないなら、お前の信仰も、今日で終わりだ。
最初はあんなに誇り高かったのに。
敵に屈しないと言い切っていたのに。
最終盤で彼女の目から光が消えていく瞬間、体がピクリと反応してしまったら——
もう言い訳はできない。
この作品はお前の本性を映す鏡だ。
CGという形式を借りて、ここまで“人格の溶解”を描ききるなんて反則だろ?
でも抜けるんだよ。抜かずには終われねぇ。
👨【31歳・営業職】
「信仰が剥がれていく表情、マジで脳に来た。抜きどころが多すぎて何回も往復してる。」
👨【35歳・技術職】
「構図が神すぎる。というか皮肉な意味で“神がかってる”。聖女の汗に何か込められてるだろ、あれ…」
👨【28歳・警備員】
「崩れ方がリアルすぎて逆に怖い。祈りが“喘ぎ”に変わっていく感じがたまらん。」
👨【44歳・内勤事務】
「最初は敬意すらあったのに、最後にはこっちが手を合わせて拝んでた。そういう作品。」
👨【22歳・大学生】
「こういうの待ってた。正義感を持ってるキャラが陥落するやつ。ストーリーあるようで全部“儀式”だったのもいい。」
──信仰や清らかさなんて、快楽の前ではただの素材。
そう言われてドキッとしたなら、お前もこっち側だ。
『邪教徒襲来!大聖女ユリスと生け贄の祭壇』は、
単なる陵辱モノでも、抜きCG集でもない。
これは**“信仰”という最も硬い壁を、快楽で溶かす過程を味わう作品**だ。
だから抜ける。でも、それ以上にゾワゾワする。
「自分がこんなことで興奮するなんて」
と感じながら、それでもページをめくってしまう。
……つまり、お前ももう祭壇の信者ってわけだ。